カシオ計算機を創業された4兄弟の三男、樫尾和雄氏死去

カシオ計算機創業者の1人として

本田宗一郎や松下幸之助と言えば、昭和日本を代表するモノづくりの2大巨塔と考えられていますが、実はもう1人います。
それが、亡くなられた樫尾和雄氏の兄君である樫尾忠雄氏です。

まさに知る人ぞ知るという存在で、私は樫尾忠雄氏のことを知ってからCASIOにハマってしまい、腕時計はCASIOひとすじでした。

私が目標としている企業は日本国内で3社あります。

ユニ・チャームホンダ、そしてCASIOです。

その1社の創業者のお一人が亡くなられたのは、一時代の終わりを告げるとても悲しいことでした。

耐衝撃腕時計「Gショック」の衝撃

電卓「カシオミニ」や腕時計「Gショック」と聞けば誰でも分かると思います。
特に耐衝撃腕時計「Gショック」は有名ですね。

高校生時代には、20気圧に耐える防水機能のGショックを持っている友人がうらやましかったですが、逆に『そんな深いところに潜ることもないよな』と日常では不要なぐらいのハイスペックさをネタにしていたぐらいです。

でも、アメリカ合衆国海軍特殊部隊Navy SEALsに採用されていたり、世界の特殊部隊にGショックが採用されているのを知って、私も即効で買ってしまいました。

時間を気にする必要なんてなにもなかったんですが、とにかく腕につけているだけで注目の的だったのが嬉しかったのを覚えています。
そのGショックの開発を主導されたのが昨日亡くなられた樫尾和雄氏でした。

樫尾和雄氏とはどんな人物?

カシオ計算機を創業された4兄弟の3男で1988年12月から2015年6月と27年も社長を勤められた後、会長兼最高経営責任者(CEO)としてCASIOを引っ張って来られた方です。

通常、社長になったら現場を離れマネジメントや講演、政治に精を出す人が多い中で、
樫尾和雄氏は、
『商品が分からない人間にはCASIOのトップは務まらない』をモットーに、重要な製品開発を自ら指揮し続けられていました。

カシオ計算機とは?

カシオ計算機は、その社名から分かる通り、電卓以前のリレー式計算機14-Aから電卓の時代を通って成長した企業です。

今からでは考えられない大きさの計算機ですが、当時の計算機と言えば、積(かける数)の分だけ機械横の取ってをグルグル回す計算機だけした。
もしくはソロバンでしたので、リレー式計算機は革命でした。

カシオ計算機のリレー式計算機14-A

その後さらに電卓カシオミニでブレイクし、常になにか新しいことを始めるワクワクさせてくれる会社としてのブランドを築き上げてきました。

カシオ計算機の特徴

糸井重里の萬流コピー塾で評価を得たキャッチコピーがCASIOを物語っています。

「今買うな、カシオがきっと、何かやる」

ただ高機能なだけでなく、良い意味でユーザーの期待を裏切ってくれる楽しみな会社。
それがCASIOでした。

カシオ計算機がCASIOになった理由

昨日、亡くなられた樫尾和雄氏の名字を読むと『かしお』です。
そうなんです。

カシオ計算機は創業者の名字から取られた社名なんですね。

でも、どうしてKASIOではなく、CASIOなのか?

その理由は、創業当初1946年から『世界で親しまれる企業になる』という大目標があったためなんです。
今でこそ、『なるほどな~』と思うかもしれませんが、考えてみてください。

東京都三鷹市に創業した当初、樫尾製作所という社名だったころは、世界どころか日本でも名前の知られていない無名の零細企業でした。
そんなころに『世界で親しまれる企業になる』と言えばどれほど大勢の人に笑われたことでしょう。

しかし、そんな世間のあざけりなど気にもとめず躍進を続けます。

あのパナソニックですら、世界で知名度をあげようと『ナショナル』ブランドを消してパナソニックとして統一したのが2008年であることを考えれば、CASIOの先見性は際立っていることが分かります。

今、創業者の1人で4兄弟の長男である樫尾忠雄の著書『兄弟がいて―私の履歴書』とご存命の樫尾 幸雄氏の著書『電卓四兄弟 – カシオ「創造」の60年』がamazonで購入できます。
ぜひ一度読んでみてください。


兄弟がいて―私の履歴書


電卓四兄弟 – カシオ「創造」の60年

経営、マネジメントという点を期待してると的外れになりますが、モノづくりメーカーとしての創業の真髄を見ることができます。

特に想像力。

今の日本のメーカーに足りないモノが分かります。

カシオ計算機の腕時計

私にとって腕時計とはただの時間を知るための道具でしかありませんでした。
そんな私が高校生の時に初めてCASIOのGショックに出会い、本当にショックを受けました。

『カッコいい!!』

ベタな表現ですみません。
でも、本当に惚れ込んでしまいました。

その後、『兄弟がいて―私の履歴書』を読んでさらにCASIOにハマって行きました。

社会の役に立つ人材はどんな時代でも生き残れます。

でも、拙いテクニックなんかよりもこの本を1冊読んだ方が世の中に価値を提供できる人材の意味が伝わってきます。

英語を学んだり、会計を学んだりも大切です。

でも、もっと大切なことはユーザーの求めるものというマーケティングの視点と、ワクワクを世の中に広めるという想像力です。

そんな色々なことを学ばせて頂いたことを思い出していました。

樫尾和雄氏のご冥福を心からお祈りしております。

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